僕はもう空間だと思いますけどね。例えば、住宅メーカーとかはいろいろたくさんありますし、もちろん素晴らしいものを作ったりされてるかもしれないですけど、多分アプローチがそもそも違うんじゃないかなと思うんですよ
ここに好きな椅子を置いて、ここにご主人はきっと佇んで本を読んでいるとかっていうことをイメージして作る空間と、そうではなく機能的にどういう風にしたら住宅として住みやすいかっていうアプローチと。最初のスタートが違うので、やっぱり出てくるアウトプットは絶対変わってくると思うんですよね
みんなが気持ちよく感じるだろうなっていう、人をもうちょっと匿名的にイメージしてる感じですかね。この人だからっていうのじゃなくて、すべての人に共通して心地よく感じる何かはあるんじゃないか?という
目指してるのは実は普遍性のようなもので、多分そういうアプローチを建築家住宅の設計者の多くがやってると思うんですよね。きっと何かしらそういう、空間に対してのアプローチの違いがそこに表れていて。だからクライアントの方も自分の生活スタイルを合わせていける
それぞれ皆さんがその中にある普遍性みたいなものを感じて、ここは自分にとってはこういう空間だって自分から定義づけていく。そうすると、どんどん自分の空間になっていくみたいな感じが、そういう違いがあるんじゃないかなっていう気はしますね
自由って実はすごく難しいなと。自由な空間作りましょうって言って、体育館をポンとどうぞって自由ですよね。どう使ってもいいし。だけどほぼ誰も使えないですよね。こう、なんかもう拠り所が無さ過ぎて、使いきれないという
みんなが好きな場所を好きなように、自分で選んで使えるようにするっていう。そうなった時に初めて皆さんの空間をどんどん自分で作っていけるっていうんですかね。それが包容力があって自由な空間だと思っていて。それが皆さんの家になってくるんじゃないかっていう気がするんです
その人の趣味だとか、ライフスタイルをこうしたいんだとか。そういうことよりも、もう少し普遍的なところで家が受け止めてくれたら、その人たちなりにカスタマイズしながらどんどんこの家の理解を勝手に深めてくれるというか
いろいろ調べてみた時になんか自分とフィーリング合うなとか。何かすごくいいと思うんだけど、何かわかんないんですよねっていう。クライアントや利用者はそれで十分なんですよ。作り手が精一杯そこに応えていけばいいのであって
全ての人に共通して心地よく感じる「何か」はあるんじゃないかと
- 石井秀樹
- 石井秀樹建築設計事務所
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